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WWEで大活躍の中邑真輔、その軌跡とは

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最大の祭典レッスルマニアに出場するなど、WWEで大活躍中の中邑真輔。その軌跡を、日本のプロレスからの視点で追ってみました。(参考サイト)

格闘技路線の申し子

2002年に、青山学院大学レスリング部から新日本プロレスに入団した中邑選手。そのレスリングの実績から、「格闘技路線の申し子」として期待を受けました。当時の新日本プロレスは、オーナーであったアントニオ猪木の意向で、総合格闘技との関わり合いが多かったのです。中邑選手は猪木に強く期待されていた、ということになります。

プロレスの試合と並行しながら、年末にはINOKI BOM-BA-YE 2002でダニエル・グレイシーと総合格闘技の試合を行いました。敗れはしたものの、デビュー間もない中での善戦に、注目を集めました。

総合格闘技での勝利

その後はヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ、シェーン・アイトナーに総合格闘技で連勝した中邑選手。

しかし2003年の年末に行われたDynamite!!では、K-1のスター選手であったアレクセイ・イグナショフに3Rで膝蹴りを受けダウン。TKO負けを宣告されました。その後、ダウンではないとの抗議を行い、結果が無効試合に変更となりましたが、どこかゴネ得に映る「敗北」ではありました。イグナショフはキックボクシングの選手であり、寝技には弱点があるわけですから、中邑選手は悔しかったことと思います。

汚名を晴らしたい中邑選手は、翌2004年5月に、イグナショフと再戦。2Rにギロチンチョークで一本勝ちし、実力を証明しました。結果的にこの試合が、中邑選手の現時点では最後の総合格闘技の試合となります。

アントニオ猪木という存在

2004年11月、中邑選手はタッグマッチで藤田和之・ケンドーカシン組と対戦しました。元は小川直也との対戦の話があったりと、二転三転してのカードでした。
小川直也は、新日本プロレスの看板選手だった橋本真也を本気度の強い「喧嘩マッチ」でボコボコにするなど、やりたい放題でしたので、中邑選手は小川に喧嘩マッチを仕掛けやり返そうと思っていたようです。その姿勢に、アントニオ猪木も期待していました。
しかし、相手が変わったこともあり、内容は普通のプロレスになりました。期待を裏切られた猪木は、試合後に中邑選手を鉄拳制裁。この事件は、一時は引退を考えるほど、中邑選手にとって大きなものでした。

そしてWWEへ

2009年9月、中邑選手は第53代IWGPヘビー級王者に輝きました。その試合後、マイクを持った中邑選手は「猪木ー!」と叫んだのです。

この時は猪木は既に新日本プロレスのオーナーではなく、他団体を率いていました。猪木色が薄れていく中で、過去と戦い、新しい時代を築いていく。そんな決意の表れだったのではないでしょうか。

中邑選手の必殺技「キンサシャ」(別名:ボマイェ)は、アントニオ猪木と異種格闘技戦で戦ったモハメド・アリを連想させる名前です。猪木という存在を消化しつつも、独自のレスラー像を確立していったのです。

その後の中邑選手は、吹っ切れたかのようにプロレスラーとしての魅力を高めていきます。そして、2016年からは世界最大の団体WWEに移籍し、現在ではSmackdownを舞台に活躍しています。

これからも中邑選手の活躍に期待しましょう!試合はDAZN(ダゾーン)で視聴ができます。

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