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読売巨人ジャイアンツの試合を視聴するならスポナビライブがおすすめ!

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この記事では、読売巨人ジャイアンツの試合を視聴する方法を紹介します。
ジャイアンツの試合を視聴する方法は複数あるのですが、今回は一番ポピュラーなスポナビライブでの視聴方法について説明します。

スポナビライブは、月額1480円とかなり安く、加入から1か月は月額料金が無料となっています。

また、1ヶ月の無料期間中に退会した場合は、一切お金がかかりません。
視聴できるスポーツも豊富で簡単に退会も可能なので、是非登録してみてください!

スポナビライブの登録方法は「【簡単解説】スポナビライブを登録・申し込みする方法を紹介!」を参考にしてください。

 スポナビライブとは?

スポナビライブとは、プロ野球や海外サッカーをはじめ、テニスや大相撲など幅のあるジャンルのスポーツ中継を行っているスポーツ専用配信サイトです。

主な特徴の機能としては、

見逃し配信

配信されたライブは全て、1週間以内なら視聴可能です。
「絶対に見たい試合が予定と被っている・・・」
そんな時も安心!見たい時にいつでも視聴できます。

見たいシーンだけを再生可能なタイムライン機能

どの配信もYoutubeのように見たいシーンを繰り返し見ることも可能で、
「うわ、今のゴール見逃した!」
という時も、すぐに巻き戻してゴールシーンを視聴することが可能です。

スポナビライブの月額料金は?

以前までは月額3000円だったのですが、2017年3月より価格改定が行われ、一般会員の月額が1480円と大幅値下げされました!

比較として、DAZNの月額料金は1750円ですので、スポナビライブは業界内でもかなり安く提供されています。

さらに、スポナビライブはSoftbankが運営するサービスですので、
Softbankユーザーは月額980円で利用可能!

Softbankユーザーや、それ以外のユーザーに限らず、初回1ヵ月は無料なので、とりあえず1か月間体験してから解約するのもOK。
1か月以内に解約すると料金はかからず、無料でご利用いただけます。

解約の手続きも簡単なので、もし思っていたサービスと違えば、ギリギリまで楽しんでから解約するのもアリですね。

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読売巨人ジャイアンツの歴史とは?

読売巨人ジャイアンツは、日本でもっとも長い歴史を持つプロ野球球団です。
その成立は1934年(昭和9年)までさかのぼることになります。

ジャイアンツの成り立ち

当時、読売新聞社社長だった正力松太郎がメジャーリーグ選抜チームを日本に招き、日米で対戦したことがそのきっかけでした。
それまでは海外のプロチームが来日しても、六大学を中心とした学生連合チームが迎え撃つという形でしたが、1932年(昭和7年)に発令された野球統制令によって学生・プロ間の試合が禁じられてしまったのです。

読売新聞社が学生以外の選手を集め、「全日本軍」と命名されたこのチームで日米野球を戦い抜き、全国で大評判となりました(試合は惨敗でしたが)。
日米野球が終わった後、この全日本軍を前身として「大日本東京野球倶楽部」が出来ました。これが現在の読売巨人ジャイアンツの源流となります。

まだ日本国内にプロリーグがなかったため、この大日本東京野球倶楽部は結成後にしばらく海外、主にアメリカのマイナーリーグで試合を行って経験を積むこととなります。

この遠征は成功、現地の人々の評判も上々でしたが、「大日本東京野球倶楽部」は長すぎて発音しにくく、
意味も英語圏の人間にはわからないという欠点があったためアメリカのジャイアンツにあやかり「トーキョージャイアンツ」と改名されました。

ここでようやく「ジャイアンツ」の名称となったわですが、まだまだこの後変遷は続きます。

日本国内のプロ野球リーグが開幕

海外遠征から帰ってきたトーキョージャイアンツは日本名を東京巨人軍とし、
1936年(昭和11年)、日本職業野球連盟が設立し待望の日本国内野球のプロリーグが始まりました。

参加したのは巨人軍以下、大阪タイガース・阪急軍・ 大東京軍・ 名古屋金鯱軍・名古屋軍・ 東京セネタースの計七チームです。
今と比べると地域も偏っていますし、またチーム名に「軍」が多いのは、当時の軍国主義的な世相を反映してのことと言われています。

このリーグ成立から、第二次大戦でリーグが中断するまでのいわゆる戦前期に東京巨人軍は第一次黄金期と言われる華やかな成績を残します。
11シーズン中8回の優勝を果たし、日本を代表する野球チームとしての立場を確たるものにしました。

1940年ころから戦争の激化にあおられ、タイガース・セネタースなどの英語表記も改められるなど時代の影響も受けましたが1945年に中断されるまでこの戦前期は続いたのです。

戦後のジャイアンツ黄金期

いったんの中断を挟んだものの、終戦後の1946年にふたたびプロ野球リーグは再開し、そのプレーで敗戦直後の日本列島を勇気づけることとなります。

またこの戦後期からはジャイアンツ・ブレーブス・タイガースなどカタカナ表記も解禁されたため、このようなチーム名が多くなっています。
このころは正式名称が「東京読売巨人軍」、読売ジャイアンツは愛称となります。この少し後の1949年には二リーグ制が導入され、少しずつ今のプロ野球に近づくこととなりました。

1950年から始まった水原茂監督時代には、ジャイアンツは日本シリーズ三連覇などの快進撃を含む第二次黄金期を築き上げました。
しばらくつづいたこの黄金期も、1958年ころには勢いを失い始めます。

しかし、この1958年には長嶋茂雄、翌年1959年には王貞治と、期待の大型新人が相次いで入団したためその後の復権を予感させました。
二人は期待を裏切らない活躍を見せ、1961年の川上哲治監督の就任とともに巨人に勢いを添えることになります。

1964年には王貞治が年間本塁打数シーズン記録の55本をマークし、翌年1965年からは前人未到の日本シリーズ九連覇、いわゆる「V9」を実現します。
この黄金期に重なり、1970年ころからカラーテレビが普及してきたこともあってジャイアンツの人気は国民的なものになり、
有名な「巨人・大鵬・卵焼き」という子どもの三大好物に数えられるほどの人気を確保しました。

現在に至るまで

その後、現役を退いた長嶋茂雄が監督に就任。

ところが1980年には二リーグ制初めてとなる三年連続V逸もあり、また王貞治が同年引退したこともあり、長嶋茂雄は監督を勇退。
その後を継いだ藤田元司監督も以前のような黄金期を作るには至らず、ふたたび1993年に長嶋茂雄が監督となる。

大型新人として知られる松井秀喜を獲得するなど注目を集める機会も多かったのですが、やはり黄金期再生には至らず、2001年には長嶋茂雄は退任し、終身名誉監督に就任することになりました。

その後堀内・原・引退直後の高橋監督が後を引き継ぐものの、野球賭博などの影響もあり成績には昔日ほどの輝きはありません。

それでもエース菅野・内海投手をはじめ、将来性を感じさせる田口投手など投手陣も充実。
日本一打てる捕手の阿部選手、前年ゴールデングラブ賞を獲得した坂本選手、復調の大砲村田選手、選手会長長野選手など、シーズンを勝ち取るのに十分な戦力が整っていますので、これからもペナントレースの行方から目が離せません。

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