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ボールをけり始めたのは2歳から!久保建英選手の幼少期

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2020年、東京オリンピック代表での活躍が期待される久保建英選手。日本人で初めてバルセロナの下部組織に入団し、その後も成長を続けています。

2019年6月にはレアル・マドリードへの移籍が発表され、話題になりましたが、現在は期限付きのレンタル移籍で同じリーガ・エスパニョーラのマジョルカでプレーしています。

先日のリーグ第16戦ではバルセロナと対戦し話題となりました。そんな久保選手がどうしてバルセロナ下部組織へ入団できたのか。どのような幼少期を過ごしたのかを紹介します。

久保建英選手の家庭のさまざまなルール

(引用:サカイク

平成13年、久保選手は長男として誕生。どこの家庭でも同じですが、初めての子育てというのは試行錯誤しながら苦労するもの。そんな日々の中、久保選手のお母さんが「長男だけど次男のように育てたい」と夫の建史さんに伝えます。

そんな久保家のルールをいくつかあげていきます。

  • 外遊びをたくさんさせる
  • 家におもちゃは置かない
  • リビングにソファーは置かない
  • 小さいうちはテレビをつけない
  • ベビーカーは使わない
  • はだし歩きで足裏の感覚を鍛える

その他のもたくさんあるのですが、代表的なルールをあげました。小さい頃はテレビをつけず、絵本の読み聞かせをたくさんしていました。幼稚園やサッカーの移動の車中ではお話のカセットを聞かせ、想像力を働かせる習慣をつけていきます。

また公園で遊ぶ時は、はだしで足の裏の感覚を養いました。筆者はよく子供と公園に遊びに行きますが、はだしで遊ぶ子は一度も見たことがありませんし、もし見かけたら「未来の久保選手か?」と思ってしまいます。

その他にも今の大活躍に繋がっているルールがありますが、これらのルールが久保選手の土台となっていることは間違いありません。

ボールを蹴り始めたのは、なんと2歳から

(引用:サカイク

久保選手がボールを蹴り始めたのは、なんと2歳から。毎朝近くの公園でほぼ毎日、お父さんと一緒に練習を始めています。久保選手のお父さんが一番気にしていたことは、「親も子も楽しくプレーすること」でした。

しかし、ただの遊びにならないよう少しずつ上手くなっていくことを意識させます。叱らずにできたらほめる。最後の1対1のゲームは必ず勝たせてあげて自信をつけさせて、サッカーの楽しさを伝えていました。

昨今、低年齢で同じスポーツだけをさせるのは良くないとされています。毎日のお父さんとのサッカーが外遊びと同じように久保選手にとって「遊び」であったことが、今の活躍を支えているのです。

バルセロナへの挑戦と活躍

(引用:サカイク

久保選手が「バルセロナに入りたい」と言い始めたのは小学校1年生の時でした。ロナウジーニョのプレーを見て興味をもったのですが、有名なプレーが「エラシコ」です。

サッカーの素人がロナウジーニョの勢いでエラシコをしたら、間違いなく足首が粉砕骨折しますね。

普通の家庭であれば聞き流しそうなところですが、久保選手の両親は本気でバルセロナ入団を目指して、情報収集やバルセロナへ入るための準備や練習をしていきます。

日本で毎年行われているバルセロナキャンプでMVPに選ばれ、スクール選抜として国際大会に出て活躍することが一番良い方法だと考え、バルセロナの下部組織入りを目指す日々。

久保選手のお父さんはバルセロナキャンプへ下見に行き、主催者に情報収集を行うなど徹底して久保選手の夢を応援します。

そして久保選手が小学校2年生の時に初めてバルセロナキャンプに参加し、見事MVPに選ばれます。スクール選抜として出場したベルギーでの国際大会は3位で終わりますが、大会でMVPに選ばれる大活躍。

この大会での活躍をきっかけにバルセロナ下部組織への入団へと繋がっていきました。

まとめ

現在も活躍を続け、東京オリンピックでの飛躍が期待される久保建英選手の幼少期からバルセロナ下部組織入りまでを紹介しました。

久保家でのルールや、2歳からお父さんと毎日続けたサッカーも一般家庭で真似しようと思っても難しいかも知れません。久保選手の両親の思いがたくさん散りばめられた家庭で育ち、それを受け止めて成長していった久保選手の幼少期からの強さも、今の活躍に繋がる一つの要因です。

人々を魅了するロナウジーニョに憧れた少年は、大人になり人々を魅了する選手として成長を続けています。東京オリンピックのサッカーでも世界の人々をワクワクさせるプレーを見せてくれるでしょう。

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